映画かきものコラム

邦画に傾倒したコラム

『北斗 -ある殺人者の回心-』自分のために生きること

北斗 -ある殺人者の回心-

www.wowow.co.jp

あらすじ
「僕を死刑にしてください」
端爪北斗は、生まれて数日後から両親に虐待され、誰かに愛された記憶もないまま、大きくなった。
そんな高校生の北斗は、里親である近藤綾子に出会い、初めて愛されることを知った。「お母さんに出会って、僕は生まれ変わった」自分に愛情を注いでくれた近藤綾子のために全てを捧げる決心をした北斗。北斗はあの日まで、幸せだった。

 

 WOWOWの連続ドラマで、全5話。

7月21日に全話一挙放送されていたので全部大人見しました。

 

以下、ネタバレを含む感想です。

 

 

 

これ、1話を見ただけじゃ、「暴力を受けて育った青年が人を殺してしまい、裁判で死刑か無期懲役かを争っていく話」に見えて、あー暴力を受けて育った人はいずれ暴力をする側になっちゃうんだなあ、なんて思っていたんだけど、2話3話とみていくと、この物語の言及したいポイントは全然そんなところじゃなかったってわかった。

 

この物語は、一言でいえば、

非日常の愛情を注がれた青年の成長物語。

 

幼いころから暴力という名の抑圧で育ち、自分を温めてくれるのは自販機だけ。そんな青年が高校生になって初めて愛情を知った。感動的なストーリーの組み立てに見えるけど、物語はこれじゃ終わらない。終わらないのが物語なんだけど。あまりにもうまく行きすぎるストーリー。見ていてどんどん不安になっていく。

 

そりゃそうだよなあ、と。愛情なんて得たことのなかった人間が、急に一人の人によって溢れんばかりの愛情をもらい、それで、平静でいられるか。言い換えれば、相手に依存せずにいられるかっていう。急にサルが人間みたいに喋れるようになったときみたいに、飢餓状態の人がたくさんのごちそうを目の前にしたときみたいに、興奮状態がずっと続くようなもの。愛情がない世界で自我を形成した人間にとっては、今まで無かったものが存在する世界に放り込まれるんだから。必ずしもその世界に簡単に順応したり、その世界に慣れきって調子に乗るような人たちばかりじゃない。北斗は違った。

 

私は 「依存」という言葉を「ある人一人への傾倒した強い愛情」と定義して感想を書いています。

 

人は、依存するうち、その人ありきの自分を第一に考えてしまう。その人がいるから私は生きている、生かされていると感じる。

じゃあ急に依存対象がいなくなったらどうなるかって、私が北斗の立場なら気が狂いそう。小さい頃から幸せな家庭で育ててもらった私みたいな人間は、誰かに深く依存しないようにバランスを保てるけど、北斗にはそんなことはできない。その人の愛しか知らないもんね。

 

 

物語の最後ではやっと、そんな北斗が依存から独立して一人の人間になった。

北斗が初めて自分の意思で、自分一人で考え抜いた気持ちを、多数の人間の前で口にした。北斗が一人で生きていきたいと口にした。

依存から抜け出す手助けをしてくれるのもまた、他の愛情を注いでくれる人なんだよなと思う。そのサイクルが広まれば、依存も薄まっていくのかなあ。

 

結局のところ人はいつでも一人。生まれてくるのも、誰に恋するかを決めるのも、死ぬのも、結局は一人。一人で生きれるようになってから、自分と同じくらい大切な愛する人を見つけるべきだよ。と。

 

綾子さんとの出会いは、北斗が一人で生きていくために必要な過程だったんだよね。殺人という行為を経てしまったけど。不器用にも綾子さんを愛する北斗がたまらなくいとおしく見えたりもしました。

 

心は晴れやかにはならないけど、救われた気がしたドラマです。

判決の最後、あのラストシーン、難しいテーマ、地上波では放送できないよね。さすがWOWOW。

 

原作も読んでみようと思います。

 

感想や共感待っています。